旅は人生を豊かにする(パタゴニアの旅)
2016.04.05- 「学びの泉」は私が担当するコラムです。
- 学びとは、「?>!」で表現される。「何故?」が先にあって、そこから学びが始まり、「なるほど、そうなんだ!」という一連の活動が学びだと思う。
事前の疑問を意識していなくても、「!」(なるほど、そうなんだ!)はある。しかし、「?>!」に勝るものはない。普段から、いくつもの「?」をもっていれば、学びも大きいと思う。私自身は、このコラムを書くことで、多くを学ぶ。
当時高校生であった私は「パタゴニア探検記」(高木正孝 岩波新書 1968年)を読んで、パタゴニアは、いつかは必ず行く夢の場所になった。著書の第一章「1.未知を求めて・・」に次の文章がある。『コーランには、次のような言葉がある。「未知を求めて遠く旅する者に神はそのパラダイスを開く」。』多感な高校生の私にとって、「寒風吹きすさぶ地の果て」というイメージと未知を求めてという甘い誘いは私の心に消えることの無いパタゴニアへの夢となった。
今年の2月、お客様のビジネスに関連して、お客様の経営者と一緒にチリ・アルゼンチンに出張することになった。その合間の時間を使ってパタゴニアに足を延ばす機会を得た。
パタゴニアは南米チリとアルゼンチンの南部にある
南米の最南端、南緯49度よりも南の地方をパタゴニアという。パタゴニアに日本から行く場合はチリから南下する方法とアルゼンチンから南下する方法がある。今回はチリのサンチャゴから南下し、パタゴニアを経て、アルゼンチンのブエノスアイレスに移動した
(1)チリは細長い Wikipediaによると、チリは南北4270kmある。そして東西は平均で180kmほどしかないから、日本でいえば広島県(東西131km、南北118km)縦に36個並べたようなものだ。国土は75万平方キロで、日本の2倍ある。
(2)パタゴニア パタゴニア地方を地図で示すと、氷河が削り取って複雑な奇形をしているその独特の地形に目を奪われる。 パタゴニアは、南半球にあり、2月は真夏で、過ごすには最も良い季節である。
地図上のマゼラン海峡が、かの有名なマゼランが初めて世界一周を成し遂げた時に通過した海峡である。1520年10~11月にかけて、フェルナン・デ・マガリャンイス(フェルナンド・デ・マガリャネス)がここを通過し、後に彼の名前を採って「マゼラン海峡」と呼ばれるようになったとのことである。
Wikipediaより抜粋したパタゴニア情報
以下の記述は、
(https://ja.wikipedia.org/wiki/パタゴン/)
から抜粋したものである。(実線で囲んだ部分)
(1)マゼラン、そしてマゼラン海峡
1520年10~11月にかけて、フェルナン・デ・マガリャンイス(フェルナンド・デ・マガリャネス)がここを通過し、後に彼の名前を採って「マゼラン海峡」と呼ばれるようになった。
5隻約270人で出発したマゼランの艦隊だがパタゴニアで1隻を喪失、さらにパタゴニアでもう1隻約60人が反乱によって艦隊を離れ世界一周に向かうことなく帰国している。艦隊はさらに2隻をアジアで失い、1隻ビクトリア号だけが世界一周を成し遂げている。また乗組員の内、一部は途中で脱落したりポルトガル人に拘束されながら生き延びて後年に帰国したりしている。従って18人の他に遅れて世界一周を成し遂げた乗組員が少数いる。しかしおよそ2/3の乗組員は航海で命を落としている。-会田『航海の記録』
写真は、ビクトリア号の復元船である。私が行ったときには、プンタアレーナスの港に係留されていた。全長28mの小さな船である
実際、私が行ったのは2月中旬で、現地は最も良い季節(夏)である。10月から11月の気候は厳しい。そのなかで、このような小さな船でしかも木造の帆船である。
更に、世界一周は初めてであり、地図の無い中を航行する。
マゼラン海峡の地図を見ると、一目瞭然でその複雑な地形にびっくりする。氷河が削り取った複雑なフィヨルドであり、地図があれば確信をもって進む事が出来るが、進みながら状況を見て引き返すことを繰り返していたのではないかと想像できる。
現在では、グーグルマップがあり、現在地がGPSで確認できる。しかし、未知の世界にまさに航海図の無い世界に向けて、新開地を開く人々の凄さがある。つまり、常識人や失うものの大きさに臆病な者にとってはとても挑戦できない世界である。
ちなみに、アステカ文明を策略のもとに奪い取ったスペインのコルテスは、文字が書けない、ならず者であり、スペインの最初の征服者であったと「パタゴニア探検記」には書いてある。
アフリカの東部から始まった人類は何故、ユーラシアを超え、北米を超え、中米を経て南米に入り、更にマゼラン海峡の南、フェゴ島まで移動したのだろうか?先へ先へと急いだ人類の一部は決して常識人とは思えない。恐れを知らない人たち、挑戦心に満ちた人たち、現状に満足しない人たち、そしてならず者たちが先を急いだのかもしれないのである。
パタゴン、そしてパタゴニア
パタゴン(英名:Patagon)とは、南アメリカ南端にいたとされる伝説の巨人族で、16世紀の探検家マゼランによって名付けられた人々である。現在の南米パタゴニアの地名は「パタゴンの住む土地」の意からきている。
パタゴンあるいはパタゴニアの巨人は、16世紀から18世紀、まだパタゴニアの陸や海の様子が良く知られていない時代に最初に訪れたヨーロッパ人探検家たちによってヨーロッパに伝えられた伝説の巨人族である。彼らの身長は少なくとも普通の人間の2倍はあるとされ、いくつかの伝聞ではその身長は12-15フィート(3.7-4.6メートル)とも、あるいはそれ以上とも伝えられたとされている。18世紀末に否定されるまで、今から見ると現実にはありえそうも無いこの巨人達についての伝説がヨーロッパでは250年もの間にわたって語り継がれていた 。
実際には、その記述は大げさすぎたようだが、大人は180cm以上あり、大きな民族であったとの事である。
写真は、1766年ジョン・バイロンの船がパタゴニアを訪れた際に船員(左)が子供の為のパンをパタゴニア人女性に与えているとされているイラストとのことである。未知の世界の不思議で奇妙な情報を知らされたヨーロッパの人々はきっと大きな驚きと世界の広さに胸躍らせたのではないだろうか。マゼランの航海の後、欧州列強は雪崩を打って南米航路を開いた。
学びの旅が始まる
(1)夢にまで見たパタゴニア 実際に私がパタゴニアの地に足を付けたのは、飛行機でサンチャゴ空港に降りたったプンタアレーナスの空港である。ここからプンタアレーナスの町に現地の旅行社の手配したバスで移動した。ビクトリア号のレプリカはこのプンタアレーナスの港に係留されている。遠くからしか見ていないが小さい船である。そして、その係留されている海がマゼラン海峡であった。ガイドの「これが、マゼラン海峡です」という言葉に、学生のころに学んだマゼランの海についに来たかと思うとこみ上げるものがあったのを覚えている。
数時間プンタアレーナスの町にいて、そこから一気に5時間かけて乗り合いバスでプエルトナターレスに移動した。移動中のバスの窓から見る風景は、私が夢にまで見たパタゴニアの風景そのものであった。
写真は移動する乗り合いバスの車窓から撮ったものである。車窓から時々小雨の降るパタゴニアの草原を見ていると、40年以上前に本を読んで、パタゴニアに行きたいと思った若いころを思い出した。
若いころには誰もが(実現できないかもしれない)夢を抱いている。大学を卒業して就職した会社で仕事をする。結婚する。子供が生まれる。会社での役割も大きくなり、仕事に打ち込む長い期間が過ぎていく。このようにして、人は若いころの夢を実現できずにいる場合が多いのではないだろうか。しかし、ずっと夢を持ち続けて、その夢を一つ一つ実現していくことこそが年を重ねる喜びの一つとしたい。
私にとって、パタゴニアは若いころに抱いた夢の一つである。
(2)旅は大事だ 私は海外出張の折に、例えば週末には足を延ばして小さな旅をしてきた。例えばタイのバンコクでの仕事の週末にカンボジアのシェムリアップに飛んで、アンコールワットを見に行った。タイの北部のチェンマイに飛んだこともある。
最も印象深く記憶に残っているのは、コモリン岬である。コモリン岬はインドの最南端の岬である。その岬の先端に立ってキラキラと青く輝く壮大な海を臨む(南)と右がアラビア海で左がインド洋である。世界は広いと感じたひとときだった。
仕事のついでの旅は一人旅が多い。仲間と行く旅も素晴らしいが、一人旅の場合は多少の心細さがあって、学ぶことが多い。
学びの泉の第一回に書いた、第37代アメリカ大統領のリチャード・ニクソンの回顧録「わが生涯の戦い」 (文芸春秋 1991年)の「第40章 薄明」の中で、ニクソンは次のように書いている。
「旅行が好きなひとびとは、若いうちに大いに旅行すべきだ。車いすに乗ったお年寄りが生涯みたいと思いつづけてきた景色を眺めているのを目にするのは悲しいことだ。時間がないならつくればよい。金がないなら借りればよい。」
「私が若いひとびとに旅行を勧めるのは、それが楽しみを与えるからではなく視野を広げるからだ。世界を見るのは自分の国の強みと弱みの両方を知るのに役立つ。」
人生は旅のようなものだとすると、金を借りてまで旅に出るべきか否かは個々人によるだろうが、それだけ旅は価値のあるものだと思う。
今回のパタゴニアの旅で最も気に入っている写真がある。
パタゴニアの大草原で、群れで暮らすグアナコが一匹、群れから離れていた。旅の感傷だと思う人もいるだろうが、それがまた、旅の素晴らしいところだと思う。